thingstanのブログ

意外と知られていないこと。

ゼロリスクについて、続き。

ゼロリスクについての続きです。

技術革新やイノベーションなどの進歩には、チャレンジが必要です。

無理なこと、できないこと、危険のことなど、普通に考えたら、不可能なことを可能にしてしまう。それには、犠牲や、リスクが伴います。

そのリスクをゼロにしよとすると、技術革新や、イノベーション自体がそもそもできなくなります。

そもそも、ゼロリスクのようなネガティブな精神状態では、チャレンジすることも躊躇してしまうのではないでしょうか?

チャレンジを推奨し、多少の犠牲やリスクには、眼を瞑り、後押し、応援、後に続こうとする気持ちが重要です。

但し、ゼロリスクは、それをできなくしてしまいます。

ゼロリスク

ゼロリスク

次に、リソースやコスト配分のバランスを考えた場合、ゼロリスクにこだわると、目的以外の部分に、リソースやコストへの配分が必要になり、バランスに困る可能性が出てきます。ゼロリスクを達成するためのリソースやコストが、全体の半分や、3分の1もあったりすると、そもそものなんためのプロジェクト、タスクだろうと思ってしまうのではないでしょうか?

なんでも、かんでも均一ゼロリスクではなく、よっぽどでない場合は、ゼロリスクという発想はない方が、目的意識が持ててよいのではないかと思います。

頭の思考も、その方が思考しやすくなると思います。

ゼロリスク

ゼロリスク

次に場合によっては、危険や、予測が難しい、又は、不確実性が高いものなど、ゼロリスクでの手段を考えている時間があれば、一度、試みた方が早いケースも多々あります。予算や時間のコストを無駄にしてしまうことも考慮が必要です。

ゼロリスクは、あくまでひとつの考え方で、どうしても、必ず、など必要性が非常に高いや、ゼロリスクか否かでの価値が雲泥の差があるなど、完全な安全性や必然性がある場合に限り、非常にレアケースという位置づけでの考え方に留めるのが現実的かと思います。

特に、メディアや経済、社会問題で使われる場合、往々にして、誤りではないため、また、よりよく聞こえるため、現実的には、オーバーリアクションになっていても気づいていないケースが殆どです。

メディアや経済、社会問題で使われる場合は、そのまま鵜吞みにせずに、常に大げさではないかと疑って聴くくらいで、丁度よいかと思います。

ゼロリスクについて、書き始めると、終わらないですね。もう1回投稿して、一旦、別の投稿にしようと思います。再開は、再開しようと思った時にでも。